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		<title>浄土真宗親鸞会　東京都</title>
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		<description>親鸞会・東京の公式サイトです。
首都圏で浄土真宗の教えを学ぶ講座を各地で行っています。お気軽にお問い合わせ、ご来場ください。</description>
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		<title>コラム｜すでに存在する「ウイルス以上の脅威」</title>
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		<description>　ご存じだろうか。１日に、世界のどこかで餓死したり、あるいは自殺する人々の数を──。

　国連の食糧支援機関であるＷＦＰによれば、飢えは世界第１の死亡原因で、１日に２万５千人が餓死している。
　また英国とベルギーの調査によれば、自殺者は世界で年間１００万人、１日にすれば２千７百人以上が自ら命を絶っている。

　世界流行が心配される新型インフルエンザも、その脅威が畢竟、死に至ることにあるならば、先の現実はウイルス以上の脅威が、すでに存在しているともいえる。

　先進国では餓死の不安はないかもしれぬが、自殺は先進国に顕著な現象だ。
　飢えの心配がなくなると、今度は自ら死を選ぶ人が増えてくる。何とも皮肉な結果である。

　死に急ぐ理由は様々だが、共通する根底は、生きる理由が不明である点だろう。
　ウイルス感染にあれほど注意が喚起されながら、より深刻な自殺の真因はなぜか放置されたままだ。

　生きる目的の分からぬ心の闇こそ、人類あげて解決を急がねばならないはずである。</description>
		<dc:date>2009-05-23T11:02+09:00</dc:date>
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		<title>平成２１年１月の東京日程のご案内</title>
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		<description>平成２１年５月の、東京都内での講座日程を掲載しました。</description>
		<dc:date>2009-04-30T10:52+09:00</dc:date>
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		<title>コラム｜おくりびと、おくられびと</title>
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		<description>　「散る桜　残る桜も　散る桜」

　よく知られた句であるが、人の命を桜に見立てたこの歌は、特攻隊の遺書にも、随所に散見されるらしい。



　映画『おくりびと』が、アカデミー賞を受賞した。

　内容は、ひょんなことから死者を棺に納める&quot;納棺師&quot;を仕事とすることになった男の、悲喜交々のドラマである。
　 すこぶる日本的な風習にもかかわらず、海外でも共感されたのは、根底に普遍のテーマ「生と死」があるからだろう。

　納棺の作法は、死者を慈しみ、遺族を思いやる洗練された美しさがある。
「命」や「こころ」があまりに軽く扱われる現代、故人を心を込めておくる姿を通し、命のかけがえのなさを見つめ直そうとの趣旨と思われる。

　感動の声が多く寄せられているようだが、親鸞学徒としては、どうしても物足りなさを感じてしまう。
　おくられたひとは何処へ行くのか。
　それを問わずに、本来、生と死の問題は語れまい。

　残る桜も散る桜。

　人は誰しも、おくりびとになり、おくられびとになる。</description>
		<dc:date>2009-02-25T11:17+09:00</dc:date>
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		<title>コラム｜理想的な福祉社会に見る「崩壊」</title>
		<link>http://www.shinrankai.com/column/20090205.html</link>
		<description>理想的な福祉社会に見る「崩壊」

　一世紀を生きた老人に大学生が尋ねた。
「お爺さんの一生で何が最も重要な変化でしたか？」

　二度の大戦、パソコンなどの情報革命、それとも宇宙開発か。
　しかし老人の回答は意外だった。

「それはね――家族の崩壊だよ」

　福祉の国スウェーデンでの話である。



『福祉国家の闘い』（武田龍夫著）によれば、日本に比べ、理想的な福祉社会に思えたスウェーデンで、思わぬ事態が起きているらしい。
　それは青少年の自殺の急増、犯罪が日本の７倍という現実だ。
　その背景に家庭の崩壊があるという。

　男女完全平等と女性の社会進出、高福祉の社会を目指した実験は、離婚を日常茶飯事にし、夫婦の思いやり、譲歩、協力といった感情を薄れさせた。
　老人介護や家庭教育を公的機関が受け持つことで、女性は自由になったが、子供への関心・母性が薄れ、子供の深層に不安と憤りを抱かせるようになったと指摘する。

　社会といっても畢竟、人の集まりだ。
　一人一人の心に真の明かりがなければ、理想社会の実現も、ままならぬものだろう。</description>
		<dc:date>2009-02-12T13:36+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.shinrankai.com/column/20090110.html">
		<title>コラム｜人の都合を待たずに終わる「命」</title>
		<link>http://www.shinrankai.com/column/20090110.html</link>
		<description>『徒然草』の吉田兼好は、人生の大事を決行しようと思うなら、緊急な用事も、すべてほっぽり出して、すぐ決行すべきだと言っています。

「これを片付けてから」とか「あれが終わるのを待とう。慌てることはない」などと考えていると、避けられない用事が次々と際限なく出てきて、いつまでたっても踏み切れません。



　大体、人のすることを見ていると、多少志のある人でも、こういうふうに計画倒れで一生を終えているようです。

　近所に火事が迫ってきた時、「もう少ししてから」などと言う人がいるでしょうか。
　なりふり構わず、財産も用事もほうり出して逃げるでしょう。
　それはこの世の何よりも、命が大事であるからです。

　ですが、忘れてはなりません。
　その命が、人の都合を待たずに終わることを。

 

　平成21年となりました。
　今年の成人式は平成生まれが参加します。

　昭和の者には遠い先に思えましたが、気がつけば今。
　臨終もそうではないでしょうか。

　命の終わりに、果たせなかった人生の真の大事に気づいても手遅れでしょう。

　生きる目的は何か。
　それ一つを明らかにされたのが、親鸞聖人の教えなのです。</description>
		<dc:date>2009-01-14T15:34+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.shinrankai.com/column/20081001.html">
		<title>コラム｜「まさか」か「またか」か</title>
		<link>http://www.shinrankai.com/column/20081001.html</link>
		<description>　米国を震源地として、世界経済が揺らいでいる。

　米証券の老舗リーマン・ブラザーズが、64兆円の負債を抱えて破綻。
　他の金融大手への連鎖を懸念し、投資家たちは戦々恐々である。

　新たな金融商品を次々作り、世界中の余った金がそこに流れた。
「わが世の春」は束の間で、商品の一つ、サブプライムローンのつまずきで、すべてがはじける。
　同社の問題点をバンク・オブ・アメリカのＣＥＯは、「グリード（貪欲）」と言い切った。



　大阪の米粉加工会社「三笠フーズ」が、農薬やカビで汚れた事故米を、高額で食用に転売していたのが発覚した。
　取引先の焼酎メーカー社長は、被った１億円の損害に、「飛行機が落ちてきたような衝撃」と憤慨する。

「まさか」か「またか」か。一寸先は闇である。

『歎異抄』に親鸞聖人は、
「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無し」
と言われた。

　世間の出来事は生きた説法である。煩悩にまみれ、真実なき世の実相は、ただひたすらに弥陀の本願に向かえと指し示しているかのようである。</description>
		<dc:date>2008-10-07T15:53+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="http://www.shinrankai.com/column/20080615.html">
		<title>コラム｜何かとんでもないおとし物</title>
		<link>http://www.shinrankai.com/column/20080615.html</link>
		<description>　長旅も　卒寿も新茶も　夢の中

　卒寿（９０歳）を迎えた中曽根元首相の句である。

　自らこの句を解説して、こう述懐している。
「長い間、けんかしたり仲良くなったり、倒閣をやったり倒されたりしてきたが、まだ何も分かっちゃいない。夢の中を、さまよっているような感じだな」

　一代で世界の巨大企業の総帥となった松下幸之助氏も晩年、
「自分が最もやりたかったことを何もしなかったような気がする」
と述べたという。

　両氏の果たしえなかったものとは何だったのか？



　谷川俊太郎さんの詩「かなしみ」の一節に、
「あの青い空の波の音が聞えるあたりに　何かとんでもないおとし物を　僕はしてきてしまつたらしい」
とある。
　その落とし物が何だったのか、思い出そうにも思い出せない。
　ただ、忘れたという感覚だけが残っていて。

　詩人の茨木のり子さんは、そのとんでもない落とし物とは、
「なんのために生まれてきたのだろう」
ということではないかと書いている。
　その洞察に心打たれた。

　科学は進歩し、物はあふれ、住みよい社会が実現しても大事な何かが欠けている。
　それが人生の目的と気づく人は幸いである。</description>
		<dc:date>2008-06-12T09:54+09:00</dc:date>
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		<title>コラム｜何万の中の一つの死ではない</title>
		<link>http://www.shinrankai.com/column/20080605.html</link>
		<description>　朝刊１面の大きな写真に目が釘付けとなった。
　黒ずんだ爪、埃まみれの手にペンが強く握られている。
　倒壊した校舎の下敷きとなった生徒の、手だけを映した写真である。

　四川大地震の、続々伝わる悲報に胸が痛んだ。

　地震の１０日前、ミャンマーでは暴風雨で数万人の死者が出た。
　写真の生徒も、そのニュースは知っていただろう。
　だが哀れにこそ思え、わが身を重ねることはなかったに違いない。
　握ったペンで何を書くつもりだったのか。そんな未来さえ残っていなかったのに……。



　大惨事のたび、死者何万という数字に驚くが、本心はどうだろう。すぐにケロッと「どう生きるか」で、心が埋め尽くされてはいないだろうか。
　忘れてならぬのは、そんな私にも確実に死は訪れる。ひっそりと誰も注目しない死であっても、死にゆく私には取り返しのつかぬ悲劇なのだ。

　独生独死独去独来。
　私の死は、報道される何万人の中の一つの死ではない。

　たった一人の「この私」の死である。「この人生」の終わりである。これこそまさしく一大事ではないか。</description>
		<dc:date>2008-05-27T18:11+09:00</dc:date>
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		<title>コラム｜「食」を通して、生きる意味を</title>
		<link>http://www.shinrankai.com/column/20080305.html</link>
		<description>　輸入品の冷凍ギョーザに殺虫剤の成分が混入、千葉や兵庫で何人もの中毒患者が出た。どこに原因があったのか、真相はハッキリしないが、食の安全への関心が一層高まったのは間違いない。



　事件の波紋は各所に現れている。面白いことに、食品業者から海苔巻き用の海苔の“おはらい”を依頼されたある神社が、「万一、食中毒が出た時に責任が持てない」と言って断ったという。
　食中毒が出たとして、神社を訴える人もなかろうが、それだけ皆、過敏になっている。

“金こそすべて”の風潮が、危険承知で農薬、添加物の過剰使用へと走らせたのか。だが重視すべきは、目先の利益ではなく、人生の目的を果たす命であり、そのための健康ではなかろうか。

　親鸞聖人は、その人生の目的を明らかにされた。その聖人の教えによって命の尊厳を知る親鸞学徒は、当然「安全で安心な食事」への関心は高い。
　健康に気遣い、命を大切にする理由は何か、「食」を通して、生きる意味を知るきっかけになれば有り難い。</description>
		<dc:date>2008-03-04T13:27+09:00</dc:date>
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