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親鸞会 東京|医療現場の声

「病は死の便り」

呼吸器系内科医師より 

 40数年間の医師生活で、人が死んでいくのを何度も目の当たりにしました。

 開業当初は、結核患者の診療が中心でした。末期の患者は洗面器いっぱいの血を吐き、せきをすると、病原菌が1メートル先まで飛ぶ。マスクをされ、治療室に隔離される。当時、「死病」といわれました。

 だれかが近くにいてくれればまだよいのですが、家族にも避けられてしまうのが現実です。それどころか、「ここ2、3日が山です」という話をすると、まるで厄介払いができるかのように……冷たいものです。

 死期の近づいた患者の表情はうつろで、不安げです。生きる力も希望もなく、気の抜けた、人形のような姿は、自分の死が迫っていることを予感しているのでしょう。そして、孤独に死んでいく。人生の終末は、なんと悲惨なものかと思います。

 死に直面させられれば、人は皆、恐れおののき、逃れようと必死になるのでしょう。

 戦後、結核の特効薬ができたのですが、それが劇的に効くというので、患者はみんな飛びついたのです。当時で1本何万円もしたものですから、今でしたら数十万でしょうか。それでも、田畑を売って、何十本と買っていく人もありました。死を前にしては、財産も意味を失うからに違いありません。

 一方、死と真正面に向き合うのでなく、目を背けようとする例もあります。

 結核患者が少なくなってからは、糖尿病の患者を主に診察するようになりました。国内に800万以上の患者がいる糖尿病も、大変な病気で、目や腎臓への合併症により失明、腎症や心筋梗塞で死に至るケースもあります。

 ところが患者の多くは、まじめに治療に取り組もうとしないのです。後生は確実に近づいているのに、結核患者との大きな違いに驚きますが、それは、糖尿病では「まだ死なない」と思いたいからです。

 病人に限らず、皆、自分が死ぬとは思えない。いえ、思いたくないというのが本音ではないでしょうか。しかし死は、逃れられぬ未来であり、遅かれ早かれ、必ず突きつけられる問題です。眼前の死に、初めて慌てふためいても、遅いのです。

 仏教では、「無常を観ずるは菩提心の一なり」といわれます。元気な今こそ、死をありのままに見つめ、1人でも多くの人が、生死の一大事の解決を説かれた親鸞聖人のみ教えを聞かれるよう、願わずにおれません。

 

 

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