Archive for the ‘親鸞会 御法話・勉強会’ category

親鸞会で学んだこと|心が口や体に表れる

6月 14th, 2010

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土曜日は、高森顕徹先生のかつてのご講演をビデオで聞かせて頂きました。

観無量寿経に説かれている「王舎城の悲劇」という話を通して、私達の本当の姿について教えて頂きました。

川の上流にインクを流すと下流はその色に染まるように、心が口や体に表れます。

欲と怒り、愚痴の心でどれだけ悪を思っているか。またその心で口や体で悪を作っているのだと聞いて、心がけを反省しなければならないと思いました。

この日は、月曜日から金曜日まで仕事に全力を注ぐ法友が多数集まって真剣に聴聞していました。信心の沙汰に盛り上がり、大変貴重な時間を過ごしました。

親鸞会・親鸞聖人降誕会|完成のある信心

6月 7th, 2010

降誕会の弁当

昨日は、富山県射水市の親鸞会館で親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)でした。

高森顕徹先生より、「聖人一流章」という朝晩の勤行で拝読している蓮如上人の御文章について教えて頂きました。

親鸞聖人が一生涯教えられた信心が、世間で言われている一般的な信心とどう違うのか。それは、阿弥陀仏から頂いた仏心であり、私達凡夫の自力の心と全く異なるということを教えて頂きました。

この阿弥陀仏から信心を頂くことを信心決定(しんじんけつじょう)とか、信心獲得(しんじんかくとく)と言われますが、世界中のどの宗教にもない、
信心の決勝点
信心の卒業
信心の完成
を教えて頂いている私達・親鸞学徒がいかに幸せか。帰りに共に聞かせて頂いた法友と語り合いました。

写真は、今回食べた豪華なお弁当です。いつもに増して素晴らしい弁当に舌鼓を打ちました。

親鸞会で学んだ苦しみと楽しみの関係

5月 31st, 2010

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昨日は、親鸞会のテレビ座談会でした。高森顕徹先生より『なぜ生きる』という本のご解説を聞かせて頂きました。

今回は、経済的に豊かになればなるほど苦悩が増すのはなぜかという質問についてお答え下さいました。

仏教では、苦しみと楽しみの関係を「苦しみの新しい間を楽しみといい 楽しみの古くなったのを苦しみという」と教えられています。だから、楽しみ、幸せが大きければ大きいほど、苦しみ、不幸も大きいということです。

それを氷と水にたとえられ、楽の氷が大きいほど苦の水も大きい、そしてそうなるのは私達が無明業障のおそろしき病にかかっているからであると教えて頂きました。

それがどんな病なのか、どうしたら治すことができるのか。続けて聞かせて頂きたいばかりです。

来週はいよいよ親鸞聖人降誕会。朝晩のお勤めで拝読している蓮如上人の御文章の「聖人一流章」についてです。有縁の人と共に、真剣に聞かせて頂きたいと思います。

親鸞会で知った因果の道理~縄を恨む泥棒の心

5月 24th, 2010

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昨日は、富山県の親鸞会館にて、高森顕徹先生より三世因果の道理について聞かせて頂きました。

善因善果
悪因悪果
自因自果

の因果の道理は仏教の根幹であり、いつでもどこでも変わらない大宇宙の真理です。

時代や社会のせいでこんな目に、世の中が悪いから苦しいんだと思うのは他因自果だと教えて頂き、はっとさせられました。

他因自果とは、自分の受ける全ての結果は我が身の行いの結果と教える自因自果に反する心であり、自営業の私は、業績は景気に左右されていると思っていたからです。それこそ、泥棒をしたために捕まって縄で縛られているのに、その縄が自分を苦しめている元だと恨んでいる「縄を恨む泥棒」の姿だと反省させられました。

恨み・呪う愚痴の心が出て来るときには、必ず因果の道理を心の中で破壊しているということを思い知らされたご縁でした。

親鸞会が明らかにする親鸞聖人の教えにみる善の勧め

5月 17th, 2010

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15日は親鸞会のテレビ座談会でした。高森顕徹先生より、親鸞聖人の以下のお言葉について教えて頂きました。

「凡そ八万四千の法門はみなこれ浄土の方便の善なり、これを「要門」という、これを「仮門」と名けたり。この要門・仮門というは、すなわち『無量寿仏観経』一部に説きたまえる定善・散善これなり。定善は十三観なり、散善は三福・九品の諸善なり。これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいう。この要門・仮門よりもろもろの衆生を勧めこしらえて、本願一乗・円融無碍・真実功徳大宝海に教えすすめ入れたまうが故に、よろずの自力の善業をば「方便の門」と申すなり。(親鸞聖人・一念多念証文)」

八万四千の法門とは、一切経・七千余巻。お釈迦様が説かれた一切経は、私達を無碍の一道に出させ、絶対の幸福にさせるためである、というお言葉とお聞きしました。

大宇宙の仏方も、地球上唯一の仏・釈尊もこの無碍の一道に出させるために、廃悪修善を教えられています。

親鸞聖人の教えには、かくもはっきりと善を勧められていることを教えて頂いています。続きを是非とも次回、家族に聞かせたいと思いました。

詳しい解説は、親鸞会公式ホームページでご確認下さい。

親鸞会・親鸞聖人降誕会

5月 13th, 2010

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親鸞聖人は、承安三年(1173年)4月1日(西暦では5月21日)京都の日野の里で生まれられました。

親鸞聖人が生まれられなければ、
* なぜ人間に生まれてきたのか
* 苦しくとも生きねばならぬのはなぜか
* 必ず死ぬのになぜ生きるのか
を知ることはできなかったのです。

その聖人が生まれられた日の前後に、そのご誕生を祝し、御恩を偲んで勤められる法座を降誕会(ごうたんえ)と言います。

親鸞聖人が最も喜ばれることをするための集いであり、それは、聖人が教えられた人生の目的を果たさせて頂くことです。聖人の教えをよく知り、理解して、御恩に報いたいと思います。

演題は、「聖人一流章」という、親鸞聖人の教えを正しく伝えられた蓮如上人の御文章の一節についてです。聖人一流章は、浄土真宗では朝晩の勤行(おつとめ)の時に拝読しており、親鸞聖人の教えが全て収まっていると言われています。

今年も6月5日と6日に富山県の親鸞会館にて降誕会があります。詳しいことをお尋ねになりたい方は、こちらまでお問い合わせ下さい。

親鸞会で知らされた“重い一節”

5月 9th, 2010

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今日は親鸞会の二千畳での座談会でした。高森顕徹先生がお書き下された、『歎異抄をひらく』という歎異抄の解説書について出された質問にお答え頂きました。

歎異抄第一章の「すなわち」のことを、『歎異抄をひらく』には平生の一念とあります。

親鸞聖人は弥陀の救いは一念であることを一生涯教えられました。一念とは何兆分の一秒よりも短い時間であり、一念のことを「即」とも色々なところに書かれています。即は、平仮名だと「すなわち」です。

歎異抄を書いた人は、親鸞聖人の即の教え、一念の教えをよく知る人だということがよくわかりました。

また今日、歎異抄第一章の「すなわち」を一念のことだと解説された本はないことを知って、『歎異抄をひらく』のこの一節が如何に重いかを知らされて、とても感動しました。

時間があっという間に過ぎましたが、もっともっと聞かせて頂きたいと思いました。

親鸞会で学んだ肉体の楽しみの実態

5月 7th, 2010

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4日と5日は親鸞会のテレビ座談会のご縁で、私は遂に自宅で開催させて頂きました!

高森顕徹先生から、『歎異抄をひらく』という歎異抄の解説書と『なぜ生きる』という本のご解説を聞かせて頂きました。

楽しいと思う心に5つあるというお話に特に感動したという人が多かったようです。

眼識(げんしき)、耳識(にしき)、鼻識(びしき)、舌識(ぜつしき)、身識(しんしき)という5つの心は、目や耳、鼻、舌といった肉体の楽しみを求める心です。

いずれも、いつも同じでは楽しくなく、慣れると最初の楽しみがなくなります。

続くと色あせて喜べなくなり、苦しみに変わるこれらの楽しみは人生の目的ではないと教えて頂きました。

真の生きる目的を教えて頂いている身の幸をかみしめ、家族と仏法について話し合うことができ、大変幸せな時間でした。

今後も、一回でも多く自宅でさせて頂きたいと思います。

人生に悩む全ての人に|親鸞会から発信するメッセージ

4月 26th, 2010

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昨日は、親鸞会のテレビ座談会で、高森顕徹先生が監修された『なぜ生きる』についてのご解説を聞かせて頂きました。

なぜ生きるこそ、最も大事なのに誰も知ろうともしないのは、結局、考えてもわからないからあきらめているのだとお聞きしました。関連記事はこちら

どれだけ長生きしても、やがて必ず生きられなくなる時が来る。それでも生きるのはなぜなのか。

苦しいからなぜ生きるを知りたいという人に、生きよ生きよ、苦しくとも生きよという人ばかりです。

私もかつてそこに悩んだ一人でしたが、ありがたくも仏縁があり、こうして親鸞聖人の教えに答えがあることを知らされています。

人生に悩む全ての人に知って欲しいと思わずにおれませんでした。

今回は、法友のKさん宅に参詣し、昼は取り寄せて下さった無添加食品を堪能させて頂きました。

私も自宅で開かせて頂き、家族に聞かせたいと思います。

伝えて下されたから|親鸞会の正信偈の御法話

4月 20th, 2010

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18日は、親鸞会館にて正信偈について高森顕徹先生より聞かせて頂きました。

今回は、正信偈の

印度西天之論家(印度西天の論家)
中夏日域之高僧(中夏・日域の高僧)
顕大聖興世正意(大聖興世の正意を顕し)

の三行についてでした。

親鸞聖人が阿弥陀如来に救われたのは、印度・中国の七高僧方が親鸞まで伝えて下されたからであると仰っています。

水を自由に飲めるのは、池があるからであり、また池から家まで水道管が通っているからです。池に譬えられたのは弥陀の救い、水道管に譬えられたのが七高僧。どなたお一人でもおられなければ、親鸞はこのように救われることはなかったと御恩を喜ばれています。

親鸞聖人の知恩・感恩・報恩の純正さはずば抜けておられたとお聞きし、親鸞会で学ぶ親鸞学徒である私もまた聖人のようになりたいと思いました。

このように教えて頂けるのは、親鸞聖人の後、聖人の教えを伝えられた方々があり、今、高森顕徹先生が教えて下さっているからだと感泣せずにいられませんでした。