Posts Tagged ‘救い’

救い摂られたら、どうなるのか

12月 7th, 2009

12月6日のあんしん弁当

昨日は電話座談会で高森顕徹先生が監修された『なぜ生きる』についての解説がありました。 1つの問いに対して、午前、午後と時間をかけて教えて頂きました。 いかに深い内容の質問であったかが、ここからもわかります。

阿弥陀仏の本願に救い摂られたら、どうなるのかということが焦点でした。 質問に対して、親鸞聖人が34歳のときになされた三大諍論の 信心同異の諍論について、詳しく教えて頂きました。

今回の電話座談会から、あんしん弁当を送って頂けるようになり感激です。 東京にいながらにして、こんなに美味しいお弁当を頂けるなんてとても有り難いことです。 会場の外に食べに行ってもこんなに栄養は摂れません。

仏法が大事だから健康が大事、健康が大事だから食べるものが大事と、 無添加と無農薬にこだわり続けるあんしん弁当の皆さんには頭が下がります。

一品一品、丁寧に作ってあり、味付けも濃すぎず、栄養のバランスが考えられているお弁当、美味しかったです。

信ずる心

10月 17th, 2009

秋桜 (写真素材 足成)

昨日は、世田谷区の粕谷で、親鸞聖人が書かれた正信偈の

「行者正受金剛心(ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん)」

についての講演会でした。

参詣されたUさんは、

「他の宗教では、信ずる心は私たちが用意するのが大前提ですが、

 阿弥陀如来の救いは、信ずる心もないのが私たちと見抜かれて、

 信ずる心も与えて助けて下さることに、大変感動しました。」

と驚いておられました。

またSさんは、歎異抄を御縁に、友人、知人に話しをしておられるそうです。

今回も、「講演会に来ないか」と、2人の友人に声をかけてこられ、

喜びいっぱいです。

歎異抄の心を知りたい方が続々と増えていることを感じます。

どれだけ喜んでも疲れない

9月 7th, 2009

夕陽 (写真素材 足成)

昨日、親鸞会館での御法話の帰りに駅までタクシーを乗り合わせた方の中で、親鸞聖人の教えを聞き始めて4年目になるという方がありました。

その方は、

「今回の御法話では、親鸞聖人の言葉の選び方の慎重さに驚かされた。」

「『天におどり地におどる』と説明される、この世で阿弥陀仏に救われた喜びの心とは、一体どんなことなんだろう?」

と少々興奮気味に言われていました。

私も同じことを思っていたので、意気投合して駅に着くまで話していました。

特に、「おどる」と表現される喜びの心は、「どれだけ喜んでも疲れない」とお聞きして、どんな喜びだろうかと、とても想像ができませんでした。

どんな楽しみも、遅かれ早かれ疲れてきます。

それは肉体の喜びであり、阿弥陀仏に生きている時に救われた喜びとは全く違うのだということがわかりました。

なお、今回教えて頂いた喜びの心については、「救われたら本当に大慶喜がおきるのか 」という以下のページに詳しく書かれています。

どうぞお読み下さい。
http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/infoshinsyu/qa0413.htm

雨だれの説法

6月 30th, 2009

28日の日曜日に、高森顕徹先生から音羽の明詮という人の「雨だれの説法」のお話を聞かせて頂きましたので、それについて振り返ってみたいと思います。

その昔、明栓という人があり、真剣に仏道修行をしていましたが、三年経っても救いにあうことができず、「自分は駄目な人間なのかもしれない、今はこれまで」と、決心して先生に永遠のおいとまを願って出ました。

師僧は残念に思いましたが、余りにも明詮の決意の程が堅いので慰留をあきらめ、それを許しました。

しかし、さすがに永年苦楽を共に修行した師や法友と別れるのはつらく、明詮は泣きながら寺を出ました。

ところがその時、俄かに大雨が降って来たので、止むなく山門の下に腰を下し、雨の晴れるのを待ちます。

その時、何気なく山門の屋根から落ちる雨脚を見ていた明詮は、雨だれの下の石に大きな穴があいているのに気がつきました。

「こんな堅い石に、どうして、こんな穴があいたのだろう。

まぎれもない。それは雨滴の仕業ではないか。

このやわらかい水滴が、この堅い石に穴をあけたのか。何という驚くべき事実であろう。

そうだ、自分は二年や三年の修行努力でへこたれて断念したが、この水にも恥ずべき横着者であった。

仏法の重さを知らなかった。後生の一大事を軽くみていたのだ。

たとえ、水のような力のない自分でも、根気よく求めてゆけば必ず魂の解決が出来るに違いない。」

と奮然として、その場を立った明詮は、水から受けた大説法を師匠に話し、深く前非をわびて努力精進して、後に音羽の明詮といわれる大徳になったと言われています。

何事も、続けるということは苦しいことであり至難の業です。

この世の事でも成功する人が少ないのはその証拠でしょう。

楽なことでも続けると苦になるのですから、真実を求め続けるということは更に難しいことを教えられています。

このお話を聴聞して、大変勇気づけられました。

8月2日(日)親鸞会館で追悼法要

6月 25th, 2009

8月2日(日)は、富山県射水市の親鸞会館で追悼法要があります。

ご逝去された方をしのび、無常を凝視し、親鸞聖人のみ教えを聞かせていただく勝縁が追悼法要です。

立派な葬式や法事を勤めれば、先祖の恩に報いることになるだろう、という考えが常識になっていますが、
親鸞聖人は決して、そうは教えられていません。

親や先祖の恩に報いようとするならば、親の最も喜ぶことは何か、先祖の最も望むことは何かをよく知らねばならないでしょう。

それはあえて亡くなった人を呼び出すまでもなく、私たちが子供や家族に何を望んでいるかを考えれば分かります。

「正しく生きて幸せになってほしい」。

これに尽きるのではないでしょうか。

お釈迦さまは、それには本師本仏の阿弥陀仏の本願を聞信する一本道しかないと教えていかれました。

阿弥陀仏の救いにあい、永久の闇より救われて苦悩渦巻く人生が、そのまま
絶対の幸福に転じ、明るく強く、たくましく生き抜かせていただける身になることが、それらの方の最も喜ばれることになります。

8月の法要にちなんで、皆さんからよく寄せられる質問にお答えしましょう。

お盆は何をする日?

お盆とは、正しくは盂蘭盆(うらぼん)といい、『仏説盂蘭盆経』から起こったものです。

ウラボンという梵語は「倒懸(倒さに懸かれる者)」ということですから、『盂蘭盆経』とは、倒さに懸かれる者を救う方法を教えた経だということです。

では、倒さに懸かって苦しむ者とは、だれのことでしょう。迷いを迷いとは思えず、真実を真実と信じられぬ者は、仏眼からごらんになると、皆、倒さに懸かって苦しんでいるのです。

地位や財産、妻子など、有れば有ることで悩み、無い者はそれらを求めてなお苦しむ。

どこに真実の幸せを喜んでいる人があるでしょうか。

お盆は、亡き祖先を救う日ではなく、今現に倒さに懸かって飢え、渇き、苦しみ続けて未来永劫流転せんとしている、わが身自身を救う「聞法精進の日」であることを忘れてはなりません。

読経はだれのため?

「葬式や法事の読経は、死者のためになる」というのが常識になっています。

しかし、これを迷信だと徹底打破なされたのが、仏教を説かれたお釈迦さまなのです。

なぜ迷信といわれるのか。それは、お経がどのようにして成立したかを知れば明らかでしょう。

お経とは、釈尊が、苦しみ悩む生きた人間を幸福にするために説かれた教法を、弟子たちが後世の人にと、書き残したものです。

だから、死人になされた説法は一つもありません。

では、葬式や法事の読経は全く無意味なのかというと、勤める人の心構えにかかっています。

厳粛な葬式を縁に無常を感じて聞法すれば、有り難い勝縁になります。

お経に説かれている真実を聞かせていただき、ますます信心決定せねばならぬことを知らされてこそ、意味があるのです。

追悼法要について、詳細をお知りになりたい方は、下記連絡先までお問い合わせください。

この追悼法要には、県外からも多数の参加者があります。

コメント下さった方には、日時、場所、会場へのアクセスや参加方法について詳しくご案内致します。

平成20年8月30日(土) 国分寺労政会館

9月 8th, 2008

 湿気が高く、なかなか外に出たくない雨模様の東京。しかし蓮如上人「雨風雪はものの数かは」と教えられています。

この日は国分寺労政会館にて『善知識にあうことも』のご和讃の御心を聞かせていただきました。

会場の国分寺労政会館です


大きな地図で見る

善知識にあうことも おしうることもまたかたし
よくきくこともかたければ 信ずることもなおかたし

親鸞聖人が、法然上人のお弟子であったとき、「信心で救われるのか、念仏で救われるのか」の大きな論争が起きました。これを信行両座の諍論と言います。380人あまりのお弟子の中で、阿弥陀仏の救いを正しく理解していた人は、聖人含めてわずか4人。正しい仏教の先生から真実を聞かせていただいても、正しく理解することがいかに難しいか知らされます。

聴聞の後、友だちと「私はこう聞かせていただいた」と信心の沙汰をして、誤った理解をその都度正すことが大切だと知らされました。

20080830国分寺

 お体のご都合で「正座はちょっと、、、」と思われる方もいらっしゃるかも知れません。そのような方にはイス席をご用意させていただきます。


 入場は無料になっておりますので、是非またお越し下さい(^o^)ノ

平成19年11月11日(日) パルテノン多摩

11月 13th, 2007

 京王線、小田急線、そして多摩都市モノレールの3線が交わる多摩センター駅周辺は、ドラマの舞台になりそうな、お洒落で活気のあるところです。
 会場のパルテノン多摩は、駅から約400m。あちこちにオブジェが配置されているので、あいにくの曇り空でしたが楽しく歩くことが出来ました。

↓奥が多摩センター駅      奥がパルテノン多摩↓
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◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

tama03tama04 建物の中は、廊下に写真が展示してあったり、コンサートが行われていたりと、文化活動が盛んなパルテノン多摩です。周辺は緑も多く、自然と人間がうまく調和しています。心静かに聴聞に身を沈めるのには最高の環境と言えるでしょう。

tama05 今回は、親鸞聖人の書き残された『正信偈』の中から、

得至蓮華蔵世界 即証真如法性身
遊煩悩林現神通 入生死薗示応化

について聞かせていただきました。

 ここで親鸞聖人が「遊」と言われているのは「衆生済度」のことで、阿弥陀仏のお力により、大衆の中に飛び込んで、苦しみ悩む人々を助ける活動をせずにおれなくなるのだ、と仰ったお言葉です。

 参加者からは

「浄土真宗の救いは、死後のことだけかと思っていました。しかし親鸞聖人のご活躍を教えていただき、それは誤解であったとハッキリしました」
「自分ひとりで聞いているのはもったいない。次回はぜひ友達を誘って来たいです」

と喜びの声がもれました。

 夕方になるとイルミネーションがきれいな多摩センター。ここで、毎月入場無料の講演会が行われていますので、お気軽にご参加下さい。

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スミマセン、写真、ぶれちゃいました<(_ _)>