Posts Tagged ‘追悼法要’

今年も角筈勉強会をやります!

1月 14th, 2010

写真素材足成・東京の空

今日はリョウさんからです。

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11日は、今年初めて、新宿区角筈での勉強会がありました。

『正信偈』の最初の二行を通して、「教行信証」の内容について詳しく聞かせて頂きました。

後半は仏法讃嘆で大変盛り上がりました。

約1年前にご縁があったTさんは、続けて参加しています。 昨年は追悼法要、報恩講にも参詣されました。

非常にパワフルな方ですが、「自分以外は全員、師匠だという信念で生きている」と言われます。積極的に発言されていました。
       
親鸞学徒も多数参加しました。

今年も角筈で頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします!

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正信偈の冒頭二行の内容についての関連記事はこちらです。

角筈勉強会は続けて開催されています。新宿近辺の方は、是非一度参加してみて下さい。

ありがとうございました!

運命は何で決まるのか

8月 25th, 2009

夕日(足成)

昨日は、新宿区で因果の道理についての勉強会がありました。。

因果の道理については、

http://ameblo.jp/go-go-pyonta/entry-10311364586.html

に詳しく載ってます。

今回、勉強会でお話をされた山本先生から、メッセージを頂いています。

8月2日に富山県の親鸞会館でつとめられた追悼法要にも参詣されたTさんは、

業力(ごうりき)の業(ごう)について

「参った参った、世間で言われていることとは全く違い、とても深い」

と言っておられました。

2月頃から続けて参加されているKさんは、

「運命は自分で変えられると思ってはいたが、このように自分の行いで運命が決まるということが、今日始めてわかりました。」

と、学んで知らされた感動を語っておられました。

参加すればするほど、学びを深め、仏教を通じて新たな発見をされているようです。

参加者同士、楽しく交流していますよ。

とのことでした。

輪が広まって、また参加された一人一人が、勉強会を通じて、学びを深めておられますね。

因果の道理とは、

善因善果
悪因悪果
自因自果

ということです。

善い行いをすれば善い結果が、悪い行いをすれば悪い結果が返ってくる。

自分におこる全ての結果は、自分の行いによるものだいうことです。

何度も聞かせて頂いているのに、仕事で失敗して

「あぁ、あの人にちゃんとお願いしておいたのに・・・」

という愚痴の心が出てくるのは、自分に起きた結果は自分の行為が原因ということがまだまだわからないからだと知らされます。

反省、反省……。

わかったつもりにならず、もっと因果の道理を聞かせて頂かねばと思います。

人生の目的と親の大恩との関係

8月 3rd, 2009

8月2日(日)は、富山県の親鸞会館で親鸞学徒追悼法要がつとめられました。

お釈迦さまの説かれた父母恩重経に教えられる親の大恩十種について高森顕徹先生から聞かせて頂きました。

お経とは、お釈迦様が説かれたことを書き記したもの。

父母恩重経は、両親の恩が重いこと、孝行の大切さを、お釈迦さまが教えられたものです。

今の私がここにいるのは、両親が愛情をこめて育ててくださったから。

そうは言っても、果たして、どれほどそのご恩を感じ、感謝し、報いようとしているか、反省してみると情けなくなります。

世の中に目をやると、親の恩に感謝しているどころか、親を虐待し、果ては親を殺す者までいます。

そんな事件を受けてか、

「親に感謝しなければダメ」

「孝行しなさい」

と子どもに教えても、今が苦しいと「こんなつらい人生になぜ産んだ」と逆ギレして歯向かってくる始末。

なぜ孝行が大事なのか、倫理や道徳に答えはなく、だから子どもにも伝わらない……。

それも、結局、何のために生まれてきたのか、なぜ生きねばならないのか、人生の目的がわからないから。

「人間に生まれてきたのは、この幸せになるためであった! 人間に生まれて良かった!」

と人生の目的を達成し、生命の大歓喜を獲たならば、産んでくださった、そして育てて下さった両親に感謝せずにおれなくなるのは当然でしょう。

そんな尊い目的が、人生にはあることをお釈迦さまは、こう教えておられます。

「天上天下唯我独尊 三界皆苦吾当安此」

詳しくは、親鸞会公式ホームページを見てくださいね。

http://www.shinrankai.or.jp/qa/qa0103.htm

8月2日(日)親鸞会館で追悼法要

6月 25th, 2009

8月2日(日)は、富山県射水市の親鸞会館で追悼法要があります。

ご逝去された方をしのび、無常を凝視し、親鸞聖人のみ教えを聞かせていただく勝縁が追悼法要です。

立派な葬式や法事を勤めれば、先祖の恩に報いることになるだろう、という考えが常識になっていますが、
親鸞聖人は決して、そうは教えられていません。

親や先祖の恩に報いようとするならば、親の最も喜ぶことは何か、先祖の最も望むことは何かをよく知らねばならないでしょう。

それはあえて亡くなった人を呼び出すまでもなく、私たちが子供や家族に何を望んでいるかを考えれば分かります。

「正しく生きて幸せになってほしい」。

これに尽きるのではないでしょうか。

お釈迦さまは、それには本師本仏の阿弥陀仏の本願を聞信する一本道しかないと教えていかれました。

阿弥陀仏の救いにあい、永久の闇より救われて苦悩渦巻く人生が、そのまま
絶対の幸福に転じ、明るく強く、たくましく生き抜かせていただける身になることが、それらの方の最も喜ばれることになります。

8月の法要にちなんで、皆さんからよく寄せられる質問にお答えしましょう。

お盆は何をする日?

お盆とは、正しくは盂蘭盆(うらぼん)といい、『仏説盂蘭盆経』から起こったものです。

ウラボンという梵語は「倒懸(倒さに懸かれる者)」ということですから、『盂蘭盆経』とは、倒さに懸かれる者を救う方法を教えた経だということです。

では、倒さに懸かって苦しむ者とは、だれのことでしょう。迷いを迷いとは思えず、真実を真実と信じられぬ者は、仏眼からごらんになると、皆、倒さに懸かって苦しんでいるのです。

地位や財産、妻子など、有れば有ることで悩み、無い者はそれらを求めてなお苦しむ。

どこに真実の幸せを喜んでいる人があるでしょうか。

お盆は、亡き祖先を救う日ではなく、今現に倒さに懸かって飢え、渇き、苦しみ続けて未来永劫流転せんとしている、わが身自身を救う「聞法精進の日」であることを忘れてはなりません。

読経はだれのため?

「葬式や法事の読経は、死者のためになる」というのが常識になっています。

しかし、これを迷信だと徹底打破なされたのが、仏教を説かれたお釈迦さまなのです。

なぜ迷信といわれるのか。それは、お経がどのようにして成立したかを知れば明らかでしょう。

お経とは、釈尊が、苦しみ悩む生きた人間を幸福にするために説かれた教法を、弟子たちが後世の人にと、書き残したものです。

だから、死人になされた説法は一つもありません。

では、葬式や法事の読経は全く無意味なのかというと、勤める人の心構えにかかっています。

厳粛な葬式を縁に無常を感じて聞法すれば、有り難い勝縁になります。

お経に説かれている真実を聞かせていただき、ますます信心決定せねばならぬことを知らされてこそ、意味があるのです。

追悼法要について、詳細をお知りになりたい方は、下記連絡先までお問い合わせください。

この追悼法要には、県外からも多数の参加者があります。

コメント下さった方には、日時、場所、会場へのアクセスや参加方法について詳しくご案内致します。