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親鸞会 東京|医療現場の声

「医学の盲点、自らに問いかけて」

内科医師より 

 人の命を延ばすために、医師はさまざまな治療を行います。しかし、快復の見込みがない患者に、毎日点滴を打つ、という医療の現状に"これでいいんだろうか"と悩む医師は少なくありません。

夕焼け

 ある70代の患者が、体の異常を訴えました。往診に駆けつけると、たんが詰まって呼吸困難に陥り、命が危ない。近くの市民病院に運ばれた。そこで、人工呼吸器をつけようかという話になったのです。

 呼吸器をつければ、1年以上は生き延びられる。しかしそうなると、その間の治療費も、世話をする人も必要です。医師は患者の奥さんに、こう告げたといいます。

「いったん呼吸器をつければ、簡単には外せません。やっぱりやめてくれと言われても、できませんよ」

 治療しても意味がないのではと、家族も思っています。かといって"延命をやめて"とは、とても言えません。自分の身内に、死ねと言うようなものですから。それでは世間に顔向けできない。しかし、奥さんも体が悪く、世話のできる親戚もないのです。

 助けてあげたいが、寝たきりの状態で命を永らえて、何になるのか?言わずとも、そういう思いが伝わってきます。そこに、人命の尊重という考えはありません。世間体とか、自分の生活のほうが優先されるのでしょう。

 延命の目的は何か。悲しいかな、医師も家族も、答えを持っていないのが実態です。

 患者は肉体の苦しみをなくすのに精一杯ですが、心の中では、「苦しくとも生きねばならぬ理由は何か」の答えを切望しています。ところがほとんどの医者は、肉体の治療さえ懸命にしていればよいと思っているのです。

 1分1秒でも命を延ばすのはなぜか。そこに皆さんは疑問を持っていただきたい。自問自答してほしいのです。これを知らねば、ただ毎日、薬や注射で命を延ばすのはむなしいばかりです。どれだけ治療に専念しても、最後は死んでしまうのですから。

 つらい思いをして病魔と闘う目的は、ただ生きることではなく幸福になることでしょう。

「もしあの医療で命永らえることがなかったら、この幸せにはなれなかった」と、生命の歓喜を得てこそ、真に医学が生かされるのではないでしょうか。

 親鸞聖人のみ教えを学び、患者の方々に生きる目的を伝え、心身ともに救う医師が増えれば、医療の現場も必ず変わります。

 

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