
何万の中の一つの死ではない
平成20年5月27日更新
朝刊1面の大きな写真に目が釘付けとなった。
黒ずんだ爪、埃まみれの手にペンが強く握られている。
倒壊した校舎の下敷きとなった生徒の、手だけを映した写真である。
四川大地震の、続々伝わる悲報に胸が痛んだ。
地震の10日前、ミャンマーでは暴風雨で数万人の死者が出た。
写真の生徒も、そのニュースは知っていただろう。
だが哀れにこそ思え、わが身を重ねることはなかったに違いない。
握ったペンで何を書くつもりだったのか。そんな未来さえ残っていなかったのに……。

大惨事のたび、死者何万という数字に驚くが、本心はどうだろう。すぐにケロッと「どう生きるか」で、心が埋め尽くされてはいないだろうか。
忘れてならぬのは、そんな私にも確実に死は訪れる。ひっそりと誰も注目しない死であっても、死にゆく私には取り返しのつかぬ悲劇なのだ。
独生独死独去独来。
私の死は、報道される何万人の中の一つの死ではない。
たった一人の「この私」の死である。「この人生」の終わりである。これこそまさしく一大事ではないか。